傍流

現役大学生の僕が思うことを思うままに書いていくブログです

7月14日(火)【教育とは】

大学生が名前を売ったりや就職活動でアピールしたりするために、たとえ全てがそうでなくてもここでは生半可な気持ちでという点で、つまみ食いするかのように教育に手をつける行為が私は好きではない。

 

公的な過程と試験を経験した教員でさえ、完璧な教育ができる訳ではない。ましてや教育学部でもなく、大した経験も積んでいないいわば子供同然の大学生が他人になにかを教える?子供たちを管理する?いったいどうしてそこに誤りが生じないと思えるのだろうか。

 

子供をつれてキャンプをするとする。その一回では事故は起きないかもしれない。あるいは数回行っても怪我人すら出ないかもしれない。だがそれは短いスパンで物事に携わる大学生だからこその視点だ。万が一、まさしく一万回に一回起きるかもしれない事故を防ぐために、学校教員は遠足での移動の度に児童の数を数える、少しのふざけにも目くじらをたてて怒る。何度も何度も避難訓練をする。交通安全や事故についての講習を行う。幼稚園の散歩では少ない人員を割いて列の前後に保育士を配置する。それでもなお足りないから地域のボランティアを募って登下校のサポートをしてもらう。それでも0にならないのが事故というものだ。またたとえ事故という目に見える形でなくとも、誤った情報や技術を教えるということは頻繁に起こりうる。間違いをしてはいけないという完璧主義からくる意見ではない。小手先で教育を手がけて欲しくない。たった4年で去っていく先生では責任の取り様も覚悟もないと言いたいのだ。

 

この問題の難しい点は、そういった教育に携わる大学生の活動というのが、ウケがいい、ということなのだ。それは大学生の間でもそうだし、周囲の環境からの反応もまたそうである。交流した子供たちに尊敬される構図は自尊心を満たしてくれるだろうし、適度な責任感と忙しさは生活に充足を与えるかもしれない。だが短期的にはよい結果をもたらしても、長期的な目線でみると、自らの成長と履歴書のために実際の子供たちをだまくらかし使い潰す行為は、日本の教育全体の水準を陥れ、多くの無辜の命を危険に晒しているとすら言えるのだ。今一度学生としてやるべきことやるべきでないことを内省してほしいと願っている。