思索
自分はこの世界を好きになれそうにない。
大人はかつて自分がそうであった子供の気持ちを理解しない。
若者はいずれそうなる老人を尊重しない。
肢体が無事な人は、生き延びるならば、いつか老いさらばえて自らも不自由な体になるというのに障害者を見下す。
マイノリティはまた他のマイノリティを冷遇する。
車がたくさんの人間を殺して、多くの人が涙を流しているのに、誰も車に乗るのをやめられない。車を作る会社たちは、安全性評価がだとか、最新のシステムだとかで、安全であることを喧伝するけれど、自分たちが車をつくりさえしなければ誰も轢き殺されやしないことを、たとえ知っていても口に出さない。
一度手に入れた快適な生活を手放すことができない。
世界は思いやりに満ち満ちていて、大抵のひとが食っていける素晴らしい世界なのに、他人を嫉み足を引っ張り合うことに執心してやまない。
不都合なことを全て大きなもののせいにしてしまう。
そして何よりそんな世界の中で、拘泥するばかりで、拒否することも働きかけることもせずにただただ惰性でぬるい生活を享受している自分自身が気持ち悪くてしょうがない。
自分は「こうあればいい」ではなく「これがいやだ」でしか表明できなかった。
もし俺が愛せる世界があるとすれば、こんな弱い人間を生まれてくる前に弾いてしまえるような、冷徹で整然とした、そんな世界だろう。そんな世界でなら、他者を愛しながら生きていけただろうに。