傍流

現役大学生の僕が思うことを思うままに書いていくブログです

11月13日(水)【議会】

2019年度市議会報告会に参加してきました。非常に学べることが多かったです。

 

色々と記述したいことはありますが、そのあたりはもう少し丁寧にまとめたいので今はメモをつらつらと書き写しておこうと思います。

 

・タキガワヒデアキ氏

・PTA会長から市議へ

・子供達のため、という芯がある

・桜バス←黒瀬地域のための運用

・のんばす

・大学循環バス

・以上3つの合流地点を作りたい

SDGs

・Society4.0-Society5.0

・副議長シゲミツ氏

・土日のバスのアクセスが不便になった

・土日のバスの便数が減った

・孫さん

・野焼きが臭い

・再利用の研究をしている

・野焼きは禁止はしているが、やむなし

・ビニールゴミの類になると農業廃棄物ではなく産業廃棄物となり、それは県の管轄となる

・今新しい焼却場を作る計画がある

・←発電能力があり、33年までの完成を目指している。6500kW

・燃焼残渣はこれまで埋め立てていた

・それは環境に悪い

・ゼロエミッションを目指す

・セメントやコンクリートへの利用

・海への散布による藻の成長促進

・大学同士での交流がしたい。その場が欲しい

・住民自治協議会

・大学生残るのは1%残念

・BBSはいいよ(犯罪を犯した少年への保護?)

・抜け道をぶっ飛ばして危ない

・この市には2100kmもの歩道がない道路がある

・ゾーン30の普及、それは時速30kmしかだせない

・バイクのシートを切られた。防犯カメラを

・レンタル電動自転車があったらいい

・留学生に不親切

・情報のプラットフォームが欲しい

 

 

これらの中で気になったのは大学生の交流の場という点とレンタル電動自転車。

 

いましかできないこともきっとありそうだ。

11月12日(火)【隔靴】

ホテルを出ると、冷たい夜の街の風をほおに感じた。窓やネオンがちらちらと道を照らしている。人はまばらだった。

ふりかえってみると、話が噛み合っているのかいないのかわからない会話を延々と繰り返したような2時間だった。お辞儀、敬語、空のコップ、そうですね、はい、ありがとうございます、汚れた皿、皿、皿。嫌悪はなかった。ただ嫌悪を抱けない自分がいやだった。印象に残ったことといえば、年齢を聞かれ二十三と答えると羨ましがられたこと。自分では23などもう随分と年をとった気でいたが、世間ではどうやらそうではないらしい。だが、私もまたじきに羨む側に回る。そしてそれを避けるすべはない。

火照った顔が十分に冷めるほど待っていてもバスは来なかった。どうやらバス停を間違えたらしい。別のバス停を探すのもそれ以上待つのもいやだったので歩くことにした。これだから都会はいやだ。いっそ人っ子一人通らぬあぜ道ならば諦めもついて小気味好く歩いていけるというのに。眼前を通る車が無数にあるというのが余計に腹立たしい。

革靴の重さをいつもより強く感じながら歩いていく。駅に着いた。ホームには女子高生がいた。華奢な肩に重そうな薄紫のリュックがくいこんでいた。痴漢をしようという人間の気持ちはわからないが、なんとなく蹴り飛ばしたい衝動に駆られた。これは似たようなことがよくある。葬式の最中に「今叫び出したらどうなるだろう」と考えたり、禿げた偉い人と話している時にその禿頭をはたきたくなってしまったりする。実行に移すことは今日までなかったしこれからもないだろう。ホームに向かって蹴り出したら、地面に落ちた熟れた柿の実のように、その色鮮やかな中身の一部を外に晒すだろうか、それとも思い切り足を振ったところで他人を動かすほどの力が生ずることはなくただ自分がバランスを崩して床を転がるだけだろうか。結果を知ることはない。

ホームに入ってきた電車に乗り込む。携帯電話の充電は心もとなく、暇はつぶせそうにない。仕方なく入り口の横に陣取ると、目的の駅までの數十分をぼんやりとしながら過ごすことに決めた。しばらくすると嗄れた白髪のサラリーマンが入ってきて自分の隣に来た。彼があまりにもそわそわもぞもぞと常に動いて不愉快だったので場所を移すことにした。いつか自分もああなるのだろうか。自分としては芋虫と蛹ほどに違うように思えた。この場合両方とも蝶になることはないようだが。

電車の音、勝手に開くトイレの扉、小さな羽虫、視界を曇らせる眼鏡の汚れ、不愉快なものはたくさんあったが、特に他人の話す声がきつかった。かしましく、方言のきつい聞き取りづらい会話。いっそ別の言語で、自分がさっぱりわからない言語で話していて欲しかった。意味が取れそうで取れない会話というものがここまで気持ち悪いとは知らなかった。

最寄駅に着いて、駅を出る。終バスはもう出たのでここから家までの数キロを革靴で歩かなければならない。空気はさっきよりも冷たく感じた。

11月10日(日)【余暇】

人は休日に何をするだろう。私は何をするかを聞かれてもいつも答えられない。特に何も。家事して寝て漫画読んで時々出かけて、それでおしまいだから。

 

私もまた毎日決まった何かをするべきなのかも知れませんね。こういうことを考える時-一般的な人間に合わせようとする時-私はひどい苦痛を感じます。望まないことを強いられている。まるで口に枷をあてられ餌をねじ込まれているような気分になります。それでも自分を矯めていかなくてはならない。この社会で生きていくにはそうするしかないから。

 

明日は予定が多いので今日はもう寝ます。

11月8日(金)【ブロガーさんの集まりに行ってきました】

薬を飲んでいるから吐き気がするのか、薬を飲めば吐き気がおさまるのか。何も食べていないから吐き気がするのか、何か食べれば吐き気がおさまるのか。自分がゲームのキャラクターだったなら画面の右端に状態異常とその原因が表示されるだろうに。なんとも不便なゲームです。

 

 

表題について、11月8日(金)に近くでブロガーの集まりがあったので行ってきました。いろんな人がいました。実際会って話してみると画面の向こうで接するよりも多くの情報が得られまた違う印象を受けました。

自己紹介は短いことが最優先事項だと考えているので短く納めました。ただ次はもう少し考えておきたい。

自分は影響を受けやすいタチなので羨ましくなって彼らのやっていることもあれもこれもやってみたいなあなんて思いました。ただ自分は地に足がついた行動を好むというか奇を衒うようなことはしないほうが良い人間だと自分を思っているので、結局大したことはしないと思います。これとは別に大学のゴミ拾いとかやってみようかなとか考えていました。あとブログを人が見て理解できるくらいには整えましょうか。いまのではポエティックすぎてみていられませんし。

 

あと市議会議員ていいですね。素直になりたいと思いました。

・自分が各地を転々としたので故郷に愛着がない。

・自分がある程度住んでいる。

・大学があることから、転入者や外国人や若者が多く将来に展望がまだある。

・金

これらの理由でこの街の市議会議員いいなあって思いました。遠方から来た大学生がわざわざ住民票をこっちに移しているかは別にして。四年後の選挙まで今から本気で準備したら行ける気がしないでもない。その時は被選挙権ありますし。勉強のしがい、ありますね。

 

 

それが終わった後はスピーチ大会の練習を覗いてきました。みんながんばってますね。全力で取り組めるなにかがあることは幸福なことです。奏功するかはさておき。

明日は大会だそうです。ファイトー。

11月8日(金)【病床】

ふいごのように大きく息を出し入れしても、体に十分に酸素が行き渡らない。体でわかる。これは私が二十余年ともにした体なのだから。きっと私は他の人より死が近いところにあって、早いうちに死ぬ方だろう、そんな予感がある。

 

PsO2が89というとそれはもう相当酸素が回っていないらしい。普通は96から99だとか。こんな風に体は最悪の状況だけれど心は前を向いている。自分の思考を受けた苦しみに身を任せるのは簡単だ。けれどそれじゃあ張り合いがないだろう。耐え難い苦痛に晒されながらも、他者を愛し慈愛を持ち友人を大切にする。それでいて成功もを諦めたくはない。だからこそ人生は面白い。

 

この痛みはきっと他人には理解されない。理解させるほどの言葉を俺が持たない。だがそれはきっと逆もまた然りなんだ。俺は女性が感じる生理の苦痛や痴漢の恐怖を知らない。俺は四肢を書く人の街歩く不便さを知らない。特殊でなくても誰もがそれぞれ痛みを抱えている。俺は全ての痛みを知れない。だから人の話を聞こう。自分の知る世界はごく狭いものなんだって常に念頭に置きながら生きていこう。

10月31日(木)【生日】

今日は誕生日でした。バイト終わりにすこし高めのプリンを買ったりなんかして。バイトやら、翌日のゼミ発表の準備のためにあまり祝うような感じにはなりませんでした。なんだか私が家を空けている間にうちに友達が来ていたようで、メッセージが残されていました。こんなことなら家にいればよかったのかも。いいえ、むしろ出かけていてよかった。今の自分には祝いよりも罰がふさわしい気がするのです。

今日の口惜しさがあるからこそ頑張れる。周りのみんながすごい人たちだからこそ頑張れる。今はそういう気分です。

 

 

ちなみに30日はサークルのハロウィンパーティーで、皆が思い思いの格好をしていました。私は別段凝った格好はできませんでした。毎年来年こそはなんて思っている気がします。変身願望はある方だと思うんですがね。読書は好きだが、朝読書だとかわざわざ機会を設けられると途端に読めなくなってしまう、そんな時分を思い出します。

楽しかった。楽しかったけれどやはりこう、サークルの核の部分があった時とは違うように感じました。私の場合でいうドラマの活動ですかね。ただ行事に行って遊ぶだけでは物足りない、考えを巡らせて、動いて、時々ぶつかって、そんなメンバーとだからこそただ遊ぶ時間が愛おしい。いいやこれはもしかしたら引退したからという理由だけではなく、ここ最近の自分自身の行動に全力がこもっていないが故かもしれません。