傍流

現役大学生の僕が思うことを思うままに書いていくブログです

1月1日(水)【元日】

今日は朝起きてエミフルに行ってきました。腕時計を買ってもらいました。あとポケモンストアに寄ってネズミポケどものグッズを買いました。その後丸亀製麺へいってうどんを食べました。ついでに椿神社に行って初詣してきました。さらについでにゲオによってカービィを買いました。夜は家族で鍋食べた。

12月26日(木)【メモランダム】

メモとしていくつか書いていきます。

テレビで不細工な芸人をつかまえてお笑いにしてるのと、死人が出るまでやめないいじめ、そこに違いなんてない。愛があるのがいじりや、なんて。そんなもの取って付けたような言い訳だ。違いがあると言うのは、自分はそうじゃない、自分の中に悪はないと思いたがる弱い人間だ。
いじられたくらいで自殺するのは心が弱いからだ、死ぬまで人をいじめるとはなんてひどい人なんだ、そうやって目の前にある悪に勝手に区切りを入れて、自分とは無関係なものにしたがる。薄汚い性根だ。
俺は汚い人は好きだが、汚いことを認めない人は嫌いだ。



右腕が途中でなくなっていて、丸まった肉が肘の先についている人がいるとする。きっとだれもその腕を見て正面きってあげつらう人はいないだろう。気がとがめるからだ。その判断ができるのに、どうして同じ人間の身体の、胸だとか性器だとか、髪だとか顔だとか他の部位になると途端に嘲笑っても良いと思うんだろう。その線引きはなんだ。
何も言うなと言いたいんじゃない。もし人の髪のことを言うとしたら、腕のない人を馬鹿にするのと同じくらいの悪辣さを孕んでいることを知っているべきだ。
言うだけ言って罪の意識からは無縁でいようだなんて無視がよすぎるとは思わないか。

12月13日(金)【暮明】

私は今夜行バスに乗っています。目的地は東京、見聞を広げるために向かいます。今回のたびでできるだけ多くのことを学びたいです。こうしたとき具体的な目標をたてた方がよいとは聞きますが、そこまで考えられるほど知識を持っていないというのが実情です。そうですね。今回は便宜上3名以上の方から話を伺うとでもしておきましょうか。

 

先日ブログの作成支援をしてもらいました。やはりプロであり一段上の存在だと感じました。そして自分としてできること、やりたいことも少し明確化されたように思います。この旅から帰ったら行動に移そうと思います。

12月3日(火)【渦】

渦。渦。黒い渦。それは何かあるたび私の頭の片隅から漏れ出していくつもいくつも出てくる。出てくる渦は形を作ってあるときは人の形だったり飛行機だったりなんの形も作らなかったりする。誰かに「君は〜〜だね」と言われるたび頭にできた小さな穴からまろび出て、次から次へと形を作る。それはうずくまっている私の代わりに人の首を絞めたり、邪魔なものを覆い隠してくれる。渦は私の斜め上にいる。私は渦の中心を覗きこむことはできないけれど、渦は私をいつも見守ってくれている。渦。

 

一体何をすれば独特になれるだろう。いまここで私が割腹自殺をしても、全財産をUnicefに寄付しても、それはいつか誰かがやったこと。独特にはなれない。私の想像できる全てはすでに誰かがやったことの焼き増しにすぎない。私が想像した時点でそれは人間に予測可能な出来事。私は永久に自分の意思を獲得できそうにない。

12月2日(月)【走路】

昨日一昨日と友人と集まってました。とても楽しかった。きっと今より楽しい日々はなかなかきやしないでしょう。できればずっとそう思っていたい。

 

 

今日はバイトに行ってからサークルの練習を覗いてきました。

本当に素晴らしい後輩たちだと思います。いや、私ごときが評価するのは憚られる。あくまでも私見として尊敬に値する存在だと認識しています。

 

OBの方達の意見を聞くと、まあそれも一部なのでしょうが、劇やら対応やらについてあれこれ言っているのが見られます。なるほど確かに何十年と社会経験を積んだ社会人と学生とを比べると、当然正しさに近いのは前者でしょう。ですがESSはあくまで学生の組織なのです。学業の傍らに楽しんでつながりを作って。恋人を作ったり別れたり、一生懸命やったりやらなかったり、それらすべてがないまぜになったものが学生の組織なのです。私は学生本人たちが楽しむのがもっとも重要なことだと思っています。それを巣立った鳥たちが鳴き喚くのは尊敬できない。もし多くを求めるというのであればそれはもはや専門に業務として劇を行う組織だし、実際そういった劇団を自分たちで作ればいい。まして舞台というのは舞台でみてこそだと思います。見る人と演者とスタッフと全員で楽しむのが舞台だと。ぜひとも実際見にきて欲しいものです。

 

自分より長く生きている人間が自分の考えたことを考えないのか、それとも年をとるからこそ若年を見る目が変わるのか。ああ、自分もいずれ「最近の若者は〜〜」なんていう人間になってしまうんでしょうか。それはひどく悲しい。

自分が望む生き方というか、道というものは、若者に迎合する訳ではなく、ただ尊敬し許容する。その一方で自分の芯を持って尊敬される行動をとることです。今の自分はまだ足りない部分が多いです。残りわずかな成長期間でぜひとも実現できるように頑張りたいものです。

11月29日(金)【寒暖】

子育てするという経験は本当にすごいと思っていてそれは「大声で言えば対象その通りになる」訳ではないことを芯から理解できるからだ。誰も泣く子に泣くなと怒鳴ってもそうはならないということはわかるのに成人が相手になると途端に同様に考えられなくなる。赤ん坊と成人を同一視する訳ではないが。