傍流

現役大学生の僕が思うことを思うままに書いていくブログです

7月9日(火)【夜風】

色々と予定が重なり、更新が滞ってしまいました。

まあ、おそらく人生において一発逆転の方法はないんでしょうから、つまづいたりまた歩き出したりを繰り返していきます。

 

土曜日日曜日はサークルのイベントに参加してきました。腹の底から笑ったのは久しぶりかもしれない。新入生を歓迎する名目で行われたのですが、特段気を使うこともなく純粋に楽しかったです。なにより後輩たちが先輩をしている姿が嬉しかったですね。最後はみんなで施設の掃除をしたのですが、やはりみんなでやると早いし効率が良い。かつては自分一人でしたから、なおさらそう感じました。

景品として高めのチョコレートをいただいたのですが、自分としてはチョコボールの方が美味しいと感じたため人にあげました。ただその時、近くにいた女子数人にあげたのですが、振り返ってみると、「女子は総じて甘いものが好きである」という偏見や、また少しでも他人に好かれようとする劣情の存在を自分自身の中に感じました。別に聖人君主を目指そうというわけではないのですが、つくづく自分は汚らしいなあと痛感しました。

 

昨日は病院に行ってMRIをうけてきました。20分に渡って轟音響く寒いトンネルの中横たわり、得たものは異常なしの診断書。やんぬるかな。医者は五年以内には痛みが引くだろうから長い目で待てと言っていましたが、一体いつになるのやら。指を切り落とした方が話は早いんじゃないかなと思い始めましたね。

 

今日は朝から3コマ続けて中国語の授業を受け、その後大学の学生広報として活動しました。少し疲れたので今日は早めに休もうと思います。

明日には卒業論文の中間発表の資料をまとめなくてはならないのですが、まあ朝早く起きてやることにします。

 

周りは進路が決まってきていてやや焦燥に駆られますが、こういうときこそ落ち着いて考えなくては。休学できるかできないか考えて、できそうだったらやるみたいな半端な考えじゃなくて、実現させるんだ。理由としては中国語をビジネスレベルまであげたいのが一つ、大学の施設利用が有益であるのが一つ、ブログを運営したいのが一つ。そしてなにより、これは人に言って利することはないから極力言わないようにしなければならないが、気管支の調子、CSの診断、眼球の斜位、利き手の神経痛などの身体異常の調整というのが大きい。なにぶんこの体はガタが来すぎている。残りの人生、より有意義なものにしなくては。

 

治療、生活にも金はかかるし勉強もしなくてはならない。厳しい戦いにはなるが実際俺にはそんなに多くの選択肢はない。この世界はかたわもんにはひどく手厳しいようだから。

 

まず利き手に負担がかからないバイト探し、安い家賃のアパートへの引っ越し、ブログの運営、中間発表の準備、親との相談、メルカリでの不用品売却、手紙、家計簿、動画編集練習、などが直近の課題ですね。あと単純な興味としてマイクロプラスチック、性的倒錯、技能実習生あたりの問題について見識を深めたいなって思います。

 

 

7月6日

ひとりで死ねる強さがほしい。それが手に入ったなら今ほど死を渇望することはないだろうから。

 

今日はサークルの行事で出掛けていました。

4年生にもなっても楽しめる空間というのは貴重でありがたいですね。

 

県庁の試験には落ちてしまったのでもっと頑張らねばなりません。

7月4日(木)【つかれた】

茶摘みの疲れで1日が吹き飛びました。じじい許すまじ。

彼は中二病なんだなあと気がつきました。

齢70をこえても治らない、致命的で、慢性的な病。いつまでたっても自分が何かすごいことができる何者かであると信じている。いつだってすごいことはできる、やり方はわかっている。だがあえて自分はそれをしないのだ。なぜなら自分は頭が良いから。

そういった思想が言葉の端々から滲み出ていました。

 

けれどどうして彼を責められましょうか。自分もまたそうなる確率は0じゃない、いいやむしろ人よりも高い、もはやその病にかかってしまっているのかもしれない。根拠のない自信、怠け、おごり、そういった細々とした傷が寄り集まって溝となり、やがて人との大きな隔たりとなるような気がします。

 

先週に引き続きまたしても卒論に追われる日々です。すこしつかれた。

6月30日(日)【はれの日】

今日はお祭りがありました。色々とみて回ったり食べ歩いたりして楽しかったです。

ただひといきれに疲れたのか帰ってすぐねちゃいましたね。

 

祭りで感じたのが知り合いが減ったなあということです。なんだか適当にぶらついていても声をかけるような人がなかなかいない。もとよりすれ違った知人にも気づかないような自分ですが、今日は目を凝らして周りをみていました。思うに自分は歳を取りすぎましたね。あとここ一年くらい新たな知り合いを作ってない気がします。友達ってどうやって作るんだ。だれか教えてくれ。

 

こんなにも疲れているのなぜかって思ったらやはり昨日数キロ歩いたのとボルダリングしてきたのが原因ですね。

6月29日(土)【曙光】

どうして普通のことがままならない人に限って、他人を凌駕したがるのだろうか。

自分が、嫌になる。

 

自分が死ぬとしたら、いつの間にかぽっくり楽に死ぬなんてまっぴら。

堪え難い苦痛と激情の中で死にたい。

やがてただの肉になりつつある私のカラダに、これが命なんだ、痛みなんだよ、って刻みつけながら死にたい。

きっとそうでなければ、この一世一代のチャンスを逃したなら、セカイはあっという間に私がいた記憶をなくしてしまうだろう。

 

宗教でも恋人でも組織でもなんでもいい。まるで世界のあらゆる疑問の答えをそれらが示してくれるかのように、なにかに妄信的であれる人間たちを、私は強く忌避し軽蔑しながら、それと同時に羨んでいた。

私は世界に対してはもちろん、自分に対してでさえ、疑いを拭い去ることができなかったから。

 

どうやったらそんなにも普通でいるのに普通でいられるんだ。頭がおかしくなりそうだ。存在だけじゃ足りないのか。飾って、偽って、覆って。一体どんな人生を歩めば、そんな鋳型に流し込んだみたいに完璧でいられるんだ。きっとあなたたちが私を気持ち悪いと思うように、私もあなたたちが気持ち悪い。

 

人は愛に種類があるという。他人がどうかは知らないが僕は違う。いつか席が隣だったあの子にも、命請う虫にも、大きな父親の背にも、箱の中でねるおじいちゃんのしわがれた顔にも、サラダの上のトマトにも、等しく同じ種類の愛情を抱く。愛に種類があるというのなら、憎しみだとか、性欲だとか尊敬だとか、そういった他の色と混ざってしまって、別のものに見えてしまっているんだろう。

 

一度考えたことがある。

自分よりも悪いひとをみないのはどうしてなんだろう。いくら数が少なくったって、確率的に言って、統計的に言って、これだけ長く生きていれば、一人くらいそんな人に会ったっておかしくはないのに。

あるときふと気がついた。

ああそうか、自分より悪い人は私に会うより前に死んだのね。