傍流

現役大学生の僕が思うことを思うままに書いていくブログです

6月29日(土)【曙光】

どうして普通のことがままならない人に限って、他人を凌駕したがるのだろうか。

自分が、嫌になる。

 

自分が死ぬとしたら、いつの間にかぽっくり楽に死ぬなんてまっぴら。

堪え難い苦痛と激情の中で死にたい。

やがてただの肉になりつつある私のカラダに、これが命なんだ、痛みなんだよ、って刻みつけながら死にたい。

きっとそうでなければ、この一世一代のチャンスを逃したなら、セカイはあっという間に私がいた記憶をなくしてしまうだろう。

 

宗教でも恋人でも組織でもなんでもいい。まるで世界のあらゆる疑問の答えをそれらが示してくれるかのように、なにかに妄信的であれる人間たちを、私は強く忌避し軽蔑しながら、それと同時に羨んでいた。

私は世界に対してはもちろん、自分に対してでさえ、疑いを拭い去ることができなかったから。

 

どうやったらそんなにも普通でいるのに普通でいられるんだ。頭がおかしくなりそうだ。存在だけじゃ足りないのか。飾って、偽って、覆って。一体どんな人生を歩めば、そんな鋳型に流し込んだみたいに完璧でいられるんだ。きっとあなたたちが私を気持ち悪いと思うように、私もあなたたちが気持ち悪い。

 

人は愛に種類があるという。他人がどうかは知らないが僕は違う。いつか席が隣だったあの子にも、命請う虫にも、大きな父親の背にも、箱の中でねるおじいちゃんのしわがれた顔にも、サラダの上のトマトにも、等しく同じ種類の愛情を抱く。愛に種類があるというのなら、憎しみだとか、性欲だとか尊敬だとか、そういった他の色と混ざってしまって、別のものに見えてしまっているんだろう。

 

一度考えたことがある。

自分よりも悪いひとをみないのはどうしてなんだろう。いくら数が少なくったって、確率的に言って、統計的に言って、これだけ長く生きていれば、一人くらいそんな人に会ったっておかしくはないのに。

あるときふと気がついた。

ああそうか、自分より悪い人は私に会うより前に死んだのね。