今日
今日はたいへんでした
6月27日(木)【湿り気のある日】
あらためて。今日あったことなどを。
今日は一日中卒論の準備などをしています。先行研究を読んでも読んでもわからない。明日は発表ですが、現実は厳しそうです。
今日になってこんな風に思い至りました。自分はあくまで学部生であり、そもそも完璧な文章など書けるわけもないのだから、不完全ものでもいいから逃げずに出して、けちょんけちょんに指導されるのもまた正しい在り方なのではないかと。つまり自分は悪くない。
やる内容としては文体研究です。ただテーマが新しい年代の作品ということもあってか、参考文献の絶対数が少ないです。あと方法って。方法って何?読む、じっくり読む、じゃだめですかね。はぁ。これからよなべして頑張りたいと思います。
自分のやりたいこととして、サイトを作るというのがありましたが、少しずつ明確になってきました。それで稼げるかはわかりませんが。というか多分無理だとは思います。しかしやはり自分の得意な分野のことをしなければそもそも長続きしないと思うのでこれで行こうと思います。
それと色々行なっていく上で軸というか信条といったものを定めておきたいと思います。
一、積極的に人を傷つける真似は絶対にしない。
二、地に足のついた行動をする。
三、辞めるべきと思ったら潔く辞める。
この3つのルールに則ってしばらく色々なことを勉強していこうと思います。
以下メモ
・ハーモニカ買う(600円)
・サークル作る
・機材買う(2000円〜20000円)
・ここ奈良で依頼
・中国語の課題(7月2日まで)
・スケジュール確認
・メルカリの後払いの勉強
・髪を切る
・各種アカウントの整理
・ブログのテーマの変更(背景は薄緑にしたい)
・フォントの調整
・無臭のワックス探し
・本のレビュー
6月27日(木)【中国の電子マネーなどについて】
私は今年の初頭1ヶ月ほど中国の広東省にいたのですが、その時感じたことをいくらか。
まず中国で電子マネーがなぜあんなにも、日本よりもずっと普及しているのかということについて、自分なりに理由っぽいものが見えたので示していきます。
理由①現金が不便
そのままです。中国の現金は本当に汚いです。紙幣は全部が全部鼻かんだんじゃないかってくらい汚いです。汚いし端は破けて全体的に擦り切れています。そして現金がそんなものなので、例えば人と割り勘するときに(このとき周りは皆電子マネーです)現金を差し出してもあまり喜ばれません。
そして中国の人民元では小数点までよく使われます。おかし一個0.8元だとか。こういうときに現金で1元出すと0.2元が帰ってくるときもありますが帰ってこないときもあります。普通に損です。一応0.1元硬貨もあるにはあるのですが。まあもしかしたら自分が外国人とばれて舐められてたのかもしれません。
理由②通販が便利
これは深センの友人の家に泊まったときに感じたことです。早い話置き配用のロッカーがマンションに完備されていました。便利ですねー。日本でもぼちぼち始まっているみたいですが、まだまだ完全には普及していないように思います。そこではマンションの一角に置き配用のロッカーがたくさんあるところがあって、そのロッカーのどれかに荷物があるということが向こうからメッセージでくるみたいです。そうして指定のロッカーにパスを入力すると荷物が受け取れる、と。無論中国全土がそうだとは思いませんが非常に効率的で安全だと感じました。
理由③電子マネーの方がいっぱいお金たまる
現地の学生が教えてくれたのですがwechat(中国でつかえるLINEのようなもの)にお金をチャージしていると40%お金が増えるそうです。本当か?ただ現地の日本人も日本の銀行に預けているよりずっと増えるといったことは言っていたので、程度はともかくとして本当のようです。
今回述べたことはあくまで短期間滞在した感想ですので、今もそうかとかはわかりません。電子マネーが普及する理由は他にも色々あるのでしょうが、今回は日本と違うなと感じたことを簡単にまとめました。
ちなみに私は現地で使える電話番号と銀行口座がなかったのでwechatの支払い機能は使えず恩恵を預かることはできませんでした。
卒論するなど
朝10時に起きたので昨日言ってた予定は全て破綻しました。もう自分はダメかもしれない。せめてライティングセンターには午後行って卒論をするなどしていました。進捗がやばいってことをそろそろ痛感してきましたね。
今朝受刑者の刑務作業時間が少ないとかで引き上げるといったようなニュースをみました。
ttps://irorio.jp/nagasawamaki/20161017/357682/
なんでも出所者を雇った企業から「集中力がない」などとクレームが入ったとだとか。
刑務所が短いというよりは社会の労働時間が長すぎるとも思えますがどうなんでしょう。でも正直自分もそうなるような気がします。1日最低8時間も集中するなんてできる気がしません。学校では時間に1時間に1回は休憩がありましたし、なによりそこはサービスを受ける側ですからね。
あとはてなブログってurl載っけていいんでしたっけ。別に殊更載せたい訳ではないのですが、出展は明らかにした方が良いのかと。でもなんか載せない方が良いといつか小耳に挟んだ気が。間をとってhを抜いて表記しておきました。詳細を知りたいという方はhを入れてどうぞ。次回までにはそこんところ調べておきます。ネットリテラシーには厳格ではなくともセンシティブであらねば。
今私は図書館で中国語の勉強やら卒論の先行研究の精読やらを行っています。金曜には発表なんですがとてもじゃないがまとまる気がしませんね。
今日ようやく自分の使っている銀行がメルカリに対応したので口座を登録しておきました。これで円滑にショッピングができますね。昨今の電子マネーの勢いってなんかすごいですよね。うまく言えませんがすごいです。明日はその辺に触れてみようと思います。
最後に、知人の中年男性が朝から無尽蔵に電話をかけてきて少々辟易しました。連絡をショートメールで送ったとのことですが、いや、周りでだれがつかってるんや。もしかしておじさんのまわりではおじさん同士のショートメールコミュニティが出来上がっているのかも。心踊りませんね。では。
帰省を終えて
この週末は地元に帰って試験を受けていました。手応えとしては高校3年の現役の時に受けた大学受験を思い出したって感じです。まあなるようになる。
途中友達を呼び出して一緒に観光して車で送ってもらいました。海自カレーおいしかった。こう変に凝ってないシンプルなうまさでした。
夜帰ってきてからNHKの「ノーナレ」という番組をみました。思えば番組名って二重鍵でくくるんですかね。まあいいや。そこではベトナムから来た技能実習生の実態を取り上げていました。こう、内容もそうですし編集技法にも心惹かれるものを感じて食い入るようにみていました。事前に知らされていたものと違う業務をやらされて、逆らえば帰国させるぞと脅され、劣悪な環境のもとで働く実習生。自分の学科の内容とも無関係でないこともあり、強い関心を抱きました。
ツイッターなどをみると、そこの製品をもう買わないだとか、制度を生み出した政権が悪いなどといった意見が見られました。個人的にはそういった行動に意味はないように感じました。買わないのではなく適正な価格で買うようにするほうがよいのではないか、他人事と捉え大きな存在に責任をなすりつけているのではなんの解決にもならないのではないか、などと考えました。結局は制度があってもそれを悪用しているのは一般の日本人なのです。別に特別な悪人じゃない。コンビニで働く外国人を見下すだとか、言葉が通じない人を馬鹿にするだとか、そういったふつうの人の行動が、現状をもたらす空気を作り上げているように思います。ただ、じゃあおまえはなにをしてやれるんだと問われても、うまく答えらない自分がここにいます。
話は少しそれますが、自分はサイトやらアプリを作るだとか、起業するだとかいうことにほのかな憧れを抱いています。ただあくまでそれらは問題解決の手段であった目的ではない。私はそれらを目的のように考えていました。その行動の向こうの、これを解決したい、自分がこうなりたい、という強い思いがなければ、成功しないし、たとえしても中身のないものになるのではないか、などと今日思い至りました。
その上で、今日の番組はその強い思いについて考える上で一つのヒントになりました。これから自分がどうするのか、どうなりたいか、もう少し考え直したいと思います。
いまから少し課題をやって寝ます。では。
思索
自分はこの世界を好きになれそうにない。
大人はかつて自分がそうであった子供の気持ちを理解しない。
若者はいずれそうなる老人を尊重しない。
肢体が無事な人は、生き延びるならば、いつか老いさらばえて自らも不自由な体になるというのに障害者を見下す。
マイノリティはまた他のマイノリティを冷遇する。
車がたくさんの人間を殺して、多くの人が涙を流しているのに、誰も車に乗るのをやめられない。車を作る会社たちは、安全性評価がだとか、最新のシステムだとかで、安全であることを喧伝するけれど、自分たちが車をつくりさえしなければ誰も轢き殺されやしないことを、たとえ知っていても口に出さない。
一度手に入れた快適な生活を手放すことができない。
世界は思いやりに満ち満ちていて、大抵のひとが食っていける素晴らしい世界なのに、他人を嫉み足を引っ張り合うことに執心してやまない。
不都合なことを全て大きなもののせいにしてしまう。
そして何よりそんな世界の中で、拘泥するばかりで、拒否することも働きかけることもせずにただただ惰性でぬるい生活を享受している自分自身が気持ち悪くてしょうがない。
自分は「こうあればいい」ではなく「これがいやだ」でしか表明できなかった。
もし俺が愛せる世界があるとすれば、こんな弱い人間を生まれてくる前に弾いてしまえるような、冷徹で整然とした、そんな世界だろう。そんな世界でなら、他者を愛しながら生きていけただろうに。