傍流

現役大学生の僕が思うことを思うままに書いていくブログです

1月27日(水)【】

今日は朝起きて授業して面談して授業して卒論して課題した。

授業受ける側だのに「授業して」というのはおかしいが許せ。

 

私は認める。自分が弱い人間だということを。

もう言い訳なんかで目をそらすのをやめよう。

自分はこうだから仕方ない。相手のあれは実はたいしたことない。

そういった現実逃避はなんの役にも立たない。

それは傷口に指で唾をつけるようなもので、一時的な気休めにはなってもなんの解決にもならない。そればかりか、あとの自分を苦しめることにさえなる。

 

人生に一発逆転はありえない。まして俺には才能も後ろ盾もない。何度もつまづいても少しでもいいから自分の状況を改善しなくては。

1月26日(火)【痛み】

幸福も快楽もいらない。私は痛みが欲しい。

 

人と同じ痛みを分かち合いたい。そうすれば俺も人間になれるだろうか。

 

俺はいい人間になりきれない。

人が苦しんでいる姿をみると胸がすく。幸福な姿を見ていると苛立つ。

積極的に人を害したい気持ちはない。ただ投票先で結果が変わる物語なら、より悪い方向を期待してしまう。

この世界を受け入れきれない。

 

ああ本当に、俺が他人だったらよかったのに。別人だったらよかったのに。

ぼこすこに殴ってしまいたかった。髪を掴んで壁に何度も打ち付けて、ぐにぐにとした腹を蹴って、唾を吐きかけてやったのに。こんな弱く浅ましく矮小で卑劣な人間など、せいぜい暴力の対象として憂さ晴らしに使うしか、他に使い道などないのに。

1月24日(日)【快晴】

もっとはやく死ぬべきだったのに。その機会を逃してしまった。

 

いやすべてはもうわからない。わからないことだらけだ。

 

ずっと自分は死ぬべきだと願っている。だがこの問題を解決する手法としては自殺は正しくない。あたらない。自殺という行動はあまりにも、こう、生命的すぎるからだ。生き生きとし過ぎている。なにかしら死のうと行動した時、心臓が、呼吸がきっと乱暴に自分が生きていることを知らしめるだろう。私が願っているのは最初からなかったことになることだ。そうであれば誰も苦しまずに済んだ。私自身さえも。

 

取り除きたい障害だとか、耐えがたい悩みとかの話じゃない。この感情の正体は毎日毎分毎秒感じ続けるよくわからない違和感なのだ。この社会そのものが私にとって不倶戴天なのだ。私を殺すか私が殺すかしなければ幸福は訪れない。幸福とはなんだ。俺はただ吐き気のない世界を望んでいるだけだ。