傍流

現役大学生の僕が思うことを思うままに書いていくブログです

9月3日(火)【爪を切った日】

自分の知らないうちに己のもっとも忌み嫌う存在に近いものになっていたのかもしれない。行動せず、責を追わず、かといって口だけは達者で、ひとのせいにしてばかり。

虐待された人間がその子にまた虐待するのと同じように。忌避したいと願っているにも拘らず自分もまたそうなってしまう。それとも、自分のなかにある要素だからこそ、嫌ってしまうのか。

 

このまま老いさらばえて、糞尿を垂れ流すような年になって「ああこんな人生は不本意だった」「他人のために我慢した人生だった」とでもぼやくつもりか。いまはまだかろうじていい。泣いていたらギリギリ誰かが見てくれる。だがそれももう終わりに近い。親が死ぬより前に身を立てねばならない。

否定的であるのはいい。だが、自分を犠牲にするとかいう誰も望んでいないことはしてはならない。行動的な厭世家を目指す。

 

 

努力のもっとも危険な点は、それが自分の力が増大したと勘違いしてしまう点だ。所詮は捕食される直前の弱者が、額を地につけ命乞いをし、気まぐれを勝ち取ったに過ぎないというのに。