8月16日(金)【台風が過ぎて】
自分は一体何のために命を使い果たせるだろうか。
先日高校時代の友人と会って違いを明確に感じました。
自分は大きな音や光が苦手なのでゲームセンターはとりたてて好まないのですが、彼らは総じて好んでいた。いいや、彼らが好んでいたからこそ嫌いになったのかもしれない。これだけではありませんが、諸々と。
自分で言うのも妙ですが、総合的に見て高校までの友人よりずっと今周りにいる友人のほうが自然と気が合うし大切です。
これについて他の何かが悪いとかとかどれが正しいとか言いたいわけではありません。
ただかつての自分は他人と実のある時間を積み重ねられなかった。
そして今の自分がこう言う風にして生きているのは、俺がこんな生き方しかできないからです。
少しショックだったのは高校時代の友人が夢に出てきたことです。
生きているは今で、生きていくのもこれからなのに、過ぎ去ったことばかり気にして、くだらない。そう思っていても脳にはこびりついているようです。本当に、大したことがない。
以前の自分ならば、他人の不幸を諸手をあげて喜べた、望めた。けれどいまは、人が死ぬと言うことを知ってしまった。喪いたくないと思えるほどの友愛を覚えた。選ばなくちゃいけなかったのに決められなかった。俺は人としても人でなしとしても生きられなかった。こんな思いを知るくらいなら、不幸に身を浸して、自分だけのために憐れみと惨めさをこねくり回していた時のままの方がよかったのかもしれない。
台風は過ぎ去った。空が晴れて虹がかかっているのを見た。鬱屈したこんな感情も取り去ってくれたらいいのに。
8月9日(金)【夏の日々】
やはりその日思いついたことはその日のうちに書くべきですね。
忘れてしまうというのもそうですが、やはり言葉の鮮度が失われてしまう気がします。
自分にはこれしか残ってない。この割れたグラスの欠片のような言葉たちしか。
前回の更新からだいぶ日が経ってしまいました。今自分は実家に帰ってきています。
とはいえ地元には友人はいないので基本的に家でゴロゴロしています。
人並みの交流をとれるようになったのは大学入学以後なので仕方ないですね。
先日アミューズメント施設でボルダリング的なものをやってきました。このボルダリングというもの、スポーツの類の中では一番好きですね。急かされるの嫌なので。
例えば生まれてからしばらくの間は可憐で無毒な植物があったとして、それが成長するにつれて臭気を発し毒を撒き散らすようになるとしたら、早いうちに摘み取ってしまおうと考えるのははたして異常な発想でしょうか。いいえこれではまるで『模倣犯』の栗橋浩美のような
生まれてきたことを嘆く生き物はいても、生まれてこなかったことを嘆く生き物はいない。
優先席を譲れとせがむお年寄りたちは、はたして彼らの若い時にその時代のお年寄りたちに対し思いやりを示したでしょうか。席を譲ったでしょうか。いいえ、尋ねるまでもない。絶対に譲っていない。若い時分より他人を慮る習慣が付いていたのなら、老いさらばえたとしても、他人に憐憫をせがむような真似をするはずがない。
7月27日(土)【田の上に広がる見たこともないような色の景色】
明け方、体のうちにこもった熱が冷めず寝付けないと思い、散歩に出かけました。
携帯電話も、財布も持たず、メガネもかけず、着の身着のまま出かけました。何者にも縛られたくなかった。
少し歩くと、一面に田んぼが広がる空間にでて、実に綺麗でした。
この光景をただこの世界のものだけにしたい、それだけのために人類を絶滅したい、そう思いました。
川の縁の狭いあぜ道を、落ちないように気をつけながら渡って、子供のように楽しかった。
そこは人いきれも、騒擾も、胸の悪くなるような匂いもなくて最高に気持ちよかった。
途中、車が通ると、まるで自分の体内に侵入されるようで、実に不愉快でした。
ああ自分は孤独に苦しんでいたんじゃなくて、人間は誰といようが何をしようが一生孤独で、中途半端に人間に囲われていたから苦しかったんだと気がつきました。
家の近くに帰ってくると、何人かの人間と、車のエンジン音が聞こえてきて、どうして人間の出す音というのは、人間とは、こんなにも不愉快なんだろうと思いました。その最たる例が他でもない自分なのです。
人間はごまんといるのにどうして自分のような人間がいないのか少し不思議です。言っても詮無いことですがね。
一つ設定を思いつきました。
耳に入る他人が話している言葉を理解したくなくて、ある男は外国に移り住む。しかし暮らしている内その国の言葉を覚えてしまい結局他人の話す言葉が理解できるようになってしまう。また別の国に移り住むが、その国の言葉もまた覚えてしまう。その次も。その次も。そうして世界中のどこにも彼の理解できない言葉がなくなった時、男は自ら命を絶った。
7月25日(木)【作業開始】
お久しぶりです。しばらく間隔が空いてしまいました。
選挙などに行っていました。
サイト立ち上げの件ですが、いくらか方針を変更することにしました。
友人の助力を得て、作業開始です。
7月16日(火)【邁進する日】
今日は朝から3コマ連続で中国語の授業がありました。たくさん勉強したや。
四年生と言えば大学生活の総決算の時期な訳で、今までやってきたことのまとめに入っているような時期な訳ですが、私はいまだに往生際悪く座学に励んだりしています。
なんとなくこの4年間で身につけた専門知識などはこれと言ってないことを気に病み、取り戻そうとしている感じです。許してくれ。まあ現状が全てです。
今日ツイッターで見たのは年上に教わるよりも年下に教わった方が効率が良いとかいうツイートでした。なるほどね。優秀な年下ということは自分よりも短期間で自分より成果をあげている人物ということですから、たしかにと思いました。自分もどんどん年下に教えを請うていきたいです。迷惑にならない範囲で。
まあ今の自分に本当に必要なのは、多くの社会人様が求めるであろうことは、なにか特異なスキルを身に着けるということよりも、「ふつう」の人と同じような「ふつう」な社会的能力なんじゃないかと思ったりもします。
ふつうに恋愛して、ふつうに服を買って、ふつうに休日には運動して、ふつうに車を運転して、ふつうに身に着けたものを羨ましがる。書いていてちょっと気持ち悪くなりました。ふつうってなんだ。
7月15日(月)【何を祝う日だったろうか】
今日は祝日でした。と言っても毎週月曜日は授業も入っていないので、いつも通りの日々ですが。今日もなんの祝日かもわからず、前日になって友人から祝日だと聞かされて驚きました。これもまた、一度就業してしまえば死ぬまで味わえぬ経験なのでしょうね。
就活についていくつか。地域経済の発展だとか、自社製品の売り上げだとか、どれだけ聞いてもいいことに思えないのです。人が減るのがそんなに悪いことだろうか、人口が増減するのは避けられぬことだから、いかに柔軟に生活するかが大事なんじゃないか、本当に人口を増やしたいと言うのなら、人工的にベビーブームを作るために戦争でもおっぱじめるとか、ごみみたいなガラクタを薄利多売に売って、その先にあるのは資源の枯渇と環境汚染なんじゃないか、などなど。詮無いことをつらつらと考えています。きっと多くの人はそんなくだらないことに拘うより先に、生活の糧を得るために汗水垂らし懸命に努力しているのだと思います。私もそうならなければならない。この思いやりの深い世界で生きるためにはそういう善良な人間にならなければならないのだから。
思うに中学高校と進路についての指導が薄い学校だったから、その頃考えておくべきだったことを取り返さんばかりに思索にふけっているのかも。いいえ違いますね。環境は関係ありません。自分が先の見通しもろくに立てられない屑だっただけの話です。
そう、私は尊敬できる人には出会ってきたかもしれない。けれど尊敬したいと思える人には出会ってこなかった。
だれか自分を捉えてくれ。そうして思考と疑義を奪って、正解を一心に集めて、盲信させてくれ。自分の命をも預けられるような尊い存在のために、この身を捧げたい。
7月11日(木)【卒論中間発表資料提出】
今日は卒業論文の中間発表の資料提出の締切日でした。締め切り10分前でしたがなんとかだせました。ふう。自分の後の一人で全員が出したとのことでしたが、なんでもこれは前代未聞だそう。毎年10分20分遅れて出す人がいるみたいです。うちの学科……。
夕方時間があったのでlatexの講習会に飛び入りで参加してきました。さっぱりわかりませんでした。関数の表記や表の表記など、論文を描くにしても文学系の自分では活用しきれないとも感じました。しかしながら、大事なのは物事に対して多くの選択肢を持つことだとも思います。たとえ今は使いこなせなくてもwordで書くのとは別の手段として、知識を身につけておいて損はないでしょう。
【気になる単語】
・インライン数式
・ディスプレイ数式
・ラスターデータ
・ベクトルデータ
もとより人に見せることを主題としたブログではないのですが、最近はもはや備忘録や雑記帳といった方が近い様相を呈していますね。まあ人に見せるほうのブログの準備も進めてはいますが。こっちは自分用の体で進めていきます。
【思い浮かんだことば】
俺の前世は一体何をしでかしたんですか。
さぞ非道な行いをしたんですよね。
そうでなければ、この地獄が前世の罪に因るものでないならば、到底受け入れられない。
この痛みの、苦しみの理由が、ただ運が悪いだけだなんて、納得できやしない。
頼む。俺の前世よ、悪逆非道の限りを尽くした罪人であってくれ。